2013年1月11日金曜日

獅子振り復活に思う、雄勝町の集落存続

今年の雄勝の正月は、にぎやかな獅子振りに始まりました!

 
 

 雄勝では、獅子舞のことを『獅子振り』っていいます。
町中を練り歩いて、家々に入り、家の悪を追い出すという意味があるとのことで、その名の通り、とにかく、振る。

獅子振りは二人一組で、一人が獅子頭、もうひとりが胴体に入ります。
普通の兄ちゃんやおっちゃんが、獅子の中に入ったとたん、立派な役者に大変身!
えぇ?いつもぷらーっとしている(失礼)のに、実はそんな凄い舞ができるなんて、と、ただただ感心。 
まごのて診療所のある水浜地区では、38年ぶりに獅子振りをされたという方もいたのですが、その勇壮な獅子の動きは、子供の頃から接しているだけあって、とても子供の頃以来とは思えない見事なものでした。 芸達者な雄勝です。新年早々、いいものを見せてもらいました。



雄勝各地区で春祈祷(新年のお祭り)があり、各地区で獅子振りをしたりしなかったりします。
1月3日は、大須、水浜、雄勝中心地区の獅子振りに参加しました。

雄勝中心地区には、新山神社という立派な神社がありましたが、津波で流出してしまいました。
それが、昨年秋に神社本庁などの支援を受けて本殿が再建され、再建を祝う秋祭りではとっても多くの雄勝町民で賑わいました。(このブログもみてね)

そして、秋祭りに続いて、新年の春祈祷における獅子振りも、今回はじめて復活しました。
この復活には大きな意味もあります。

雄勝中心地区には、6つの集落があり、2000人近くが住んでいましたが、数軒を残してほとんど壊滅してしまいました。そして、家を失ったほとんどが、集落の単位を壊されたまま、町外バラバラに避難している状態がつづいています。

もともと、雄勝では地区単位の結びつきが非常に強く、同じ町内でも隣の集落のことはよくわからないとか、関心がないということも珍しくありません。それを象徴するような話を聞きました。
雄勝町外、石巻中心部近くに開成仮設団地という数千人住む一大仮設団地があります。ここには雄勝だけでなく、旧石巻市、北上、河北、牡鹿など様々なところから集まっています。その中でぽつんぽつんと、雄勝から避難した方の部屋も点在しています。
私達からみると、住み慣れない地では、雄勝の方同士で声をかけあって、まとまっているものだと思っていたのですが、実際にはあまり交流はみられません。

『雄勝から来たったって、○○さんは隣の集落だから話もかみ合わねぇんだ』

宮城県、石巻市、雄勝町。
それぞれの単位での感覚があるはずですが、雄勝に住んでいる方にとっては、雄勝町という単位すらピンと来ず、水浜とか伊勢畑、というように自分の集落単位が感覚的に「オラが浜」の単位の基本になっています。

いま、雄勝で家を失った3000人(震災前4000人)の9割近くが町外に住んでいます。
もともとあった地区会の多くは解散あるいは機能しておらず、仮の土地にバラバラに避難している現状では、すでに「オラが浜」を意識する機会がほとんどありません。



話は戻って、新山神社での獅子振りの話。
新山神社では、震災前まで、恒例の獅子振り大会がありました。

雄勝中心地区のうち獅子振りを行う5地区が、家々を回る前に、まず神社境内でお披露目(神様への奉納ですね)を行い、5地区それぞれが、独自のスタイルで勇壮な舞を披露します。
地元の方は、自分の地区の獅子振りが一番だ!とそれぞれに素晴らしい舞を競い合うので、自然と「獅子振り大会」といっていたそうです。

新山神社で復活した今年の獅子振りには4地区が参加し、見事な舞を見せてくれました。

今回、神社が復興し、お祭りが復活するにあたり、獅子振りを行うことに
非常に大きな意味がありました。

『震災後はじめて、オラが浜(地区)を実感するハレの機会ができた』

ということです。

震災以降、それまで日常だったお隣さんとの立ち話ができない、
集落でこれまで行っていた集会がない、消防団も婦人会も老人会もない。
そして、すでに戻るべき土地は強制的に規制をかけられ戻ることもかなわない。
新しい集団移転の候補地には、集落という単位は全く考えられていない。

そういう現状の中で、雄勝の中心地区にとって、震災後はじめて、集落としてのまとまりを実感する場になったのです。

獅子振りを見て涙を流す人も数多くいました。
その涙の意味するところを、深く考えなければ、ならないのでは、ないでしょうか。

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