2013年1月18日金曜日

1.17 阪神淡路大震災の慰霊祭に参加して

1月17日 5時46分、和尚さんの鳴らす鐘の音とともに、黙祷。



18年前の1995年のこの日に起きた地震は
未だに、実感が沸かない。

震災に遭ったのは、ちょうど”人と防災センター”のある、HAT神戸近くの神戸市中央区岩屋地区。

どーんという縦揺れに続き、ゆったりとした波長の激しい横揺れに、仮眠中だった布団ごと軽々と揺さぶられた。
激震が収まってしばらく(だったのか一瞬だったのか)布団の中にいた。ふと、こんな揺れなら関西国際空港は海に沈んだかな、と思い浮かんだことだけ覚えている。

真っ暗な家の中で、玄関に向かうも、アパートが傾いていたため扉が開かず出られない。やむなく裏のガラス戸から出ようと外を見た瞬間、その目の前に広がる光景を疑った。

目の前の家が、ことごとく倒壊していた。


18年後の昨日、はじめて、その地を訪れた。
正確にいうと、その場所がどこだったか、わからなかった。
何の感情も沸いてこなかった。

震災当日、泣き叫ぶ声が聞こえ、火の手のあがる中を避難していた時にも、何の感情も沸いた記憶がない。神戸大学に一泊避難し、翌日歩いて西宮北口駅に向かった時にも、その周囲の騒々しさにもかかわらず、飄々と駅に向かって、そのまま被災地を離れたという記憶しかない。

過去の事をぐっと我慢して忘れようという性格ではないが、とにかく未だにトラウマとかPTSDとかもない。
当時も今も、冷酷にまで無感情でいられること自体が、どうも自分にとってあまりに衝撃の経験だったのかも、しれない。



2013年1月17日、震災による火災によって、最も被害の
大きかった神戸市長田区 御管地区の慰霊祭に参加した。

主催は、この地区で震災直後から、住民の声が届く
復旧復興活動に尽力され、18年後の今でも、神戸や災害被災地などでの
活動を続けておられる「まち・コミュニケーション」の代表・宮定章さんと
それを支える有志の方々。

宮定さんは、昨年より石巻に居を移し、日々雄勝町の支援に
打ち込んでいる。今ではホタテの水揚げまで手伝っている。
その実行力には頭が下がる。

この日の慰霊祭には、18年たったにもかかわらず100人近くの
方が参加され、慰霊碑への焼香を行った。
正午に”人と防災センター”で行われていた式典にて黙祷を
捧げ献花をしたが、このときは市民が1000人以上参加していたのではないかと思う。

不謹慎かもしれないが、神戸では一年に一日だけでも、こうして
震災の事を思う行事が続くだけでも、防災の意味があると思う。

震災発生時に必要なのは、とっさの判断。
心のどこかで、災害が起こった時どうするか、と意識していることが、
最も簡単で、最も現実的な防災ではないだろうか。

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