2011年12月30日金曜日

雄勝での震災発生の1年を振り返って

2011年も、もうすぐ終わろうとしています。

3月11日の東日本震災発生後、翌日12日に東北に向かいました。
乗用車に食糧や水など思いつくものをできる限り詰め込んで。

雄勝との出会いは3月21日。北上町の避難所で「陸の孤島化してもっと困っている地区がある。」との情報を得たからです。道が寸断され、倒木と亀裂が入った雪の真野林道を抜けて雄勝に入ると、信じられない光景が広がっていたのです。
建物は全くなくなり、人の気配もなく、、、町が消滅していたのです。

3月21日 クリーンセンターからみた雄勝
災害対策本部となっていたクリーンセンターを探し当て、役場の方たちに、
「医師ですが、何かできることはありませんか?」
「それは助かった。すぐに診てください」 震災後10日、多くの避難所では
医師が来ない状況だったのです。

避難所の人たちに案内され、畳の上に段ボールを置いて診療が始まりました。
順番に血圧を測り、お話を聞いて診察をしていきますが、
取り乱したり、我先に、という人は一人もいません。
皆さんとても辛抱強く、お互いいたわり気づかい合っているのが伝わってきました。

避難所での診察風景。3月21日、明神避難所にて
ここでの出会いが、私達にとっても大きな転機となりました。
雄勝の人たちのために、何とかできることをしたい。

以来毎週、時間が許す限り、東京と雄勝を往復する日々が始まりました。

当初は避難所での診察と、食糧や燃料、衣類など物資支援を続けていたのですが
何度も往復する中で、雄勝のみなさんから色々な相談を受けることになりました。
店の再建のこと、学校のこと、住居のこと、、

私たちができることは限られています。しかし、受けた相談に対してはとにかく
すぐに何か動いてみました。動けば何かが見えてきました。手伝ってくれる方も
出てきました。

唐突に4月22日に学校が再開することになった雄勝小学校ですが
仮設教室には間仕切りも黒板もなく、急遽用意しました。
子供達が新たな教室に少しでも不安がないように。

その後、ひとつの転機は、仮設住宅の希望調査が始まったことです。
住民にとって、雄勝に残ろうかどうしようか、という選択を迫られた際に、
医療が大きな条件となったのです。

ある日、避難所の診察中に聞いたおばあちゃんの声が私たちの胸に響きました
『ずっと同じ先生に診てもらいたい。それが無いとこの町に居たくても居られないのです』
同じような思いを何人もの方が聞くのを耳にし、考える日々が続きました。 

「町に医者がいなければ町がなくなってしまう」

5月29日に、すこしでも多くの方に雄勝に戻っていただきたい、という気持ちから「雄勝まごのて診療所」を開設しました。

地元の水産会社の建物を無償で貸して頂き、備品の多くを
町の特養施設から借り受けました。わずか2週間で開院
できたのは、支援頂いた皆様のおかげです!
診療所には毎週、患者さんが足を運ばれます。主にご高齢の高血圧や糖尿病や腰痛・膝関節の痛みなどの慢性疾患の方々です。90歳を超える方もいらっしゃいますが、とてもお元気で、よく話をします。東北の方は無口でおとなしいと思っていたのは、全くちがって、嬉しい勘違いでした。

診察してお話をすると、こちらも癒されて、元気をもらいます。

震災後、しばらくの間は気が張っていたのですが、
9か月を過ぎ、体力や気力の低下が気になります。
寒い冬を乗り切って、いただきたいものです。

医療面は落ち着いてきましたが、雄勝町にとってもうひとつ大きな課題が残っています。

この町をどう再生するかです。

できるだけ多くの人が戻り、活気が戻り、安心して住める町。
三陸海岸特有の急峻な山間に限られた平地という土地ゆえに、簡単に答えは
でないかもしれません。しかし、『この町に戻りたい!』という思いが少しでもかなうよう
願ってなりません。


新しい2012年が、東北の人たちにとって、良い年になるように。
私達はこれからも、活動を続けていきます。

今年一年、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
来年は日本中が幸せになりますように。

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