2011年4月30日土曜日

★速報★ 5月3日4日ボランティア募集 (5月2日新情報up!)

★速報★ まごのて救援隊 臨時ボランティア募集!!!

 ※ 通常の記事は、速報の下で更新中です ※

ゴールデンウィーク真っただ中、5月3,4日に
まごのて救援隊でボランティアを募集します。

『雄勝すずり復活計画』 第一弾

 ”ガレキ撤去される前に、貴重なすずり石を保存しよう”プロジェクト
 

・主催:雄勝すずり生産販売協同組合、まごのて救援隊
・日時:2011年5月3日、4日 各12時ー17時 集合:朝11時(一日だけでも可)

・集合:宮城県石巻市雄勝町雄勝字伊勢畑84番地1
      石巻市雄勝総合支所 駐車場「まごのて救援隊」ワゴン車前

・連絡先:まごのて救援隊 代表 石井 090-8724-3014 まで

・必要なもの:長靴(安全靴になっているものがベスト)、手袋、帽子、雨具、マスク

・他のボランティアと同様「自己完結」でお願いします。
 往復の交通手段、食事、宿泊などは各自ご用意お願いします。
 
現地でボランティア保険に加入できるようになりました

飛び入りでも可能になりました。ご不明な点ございましたらお気軽に連絡ください。



まごのて救援隊で、先日より就労支援チームを立ち上げています。
詳細はまだブログにもアップしておりませんが、あらゆる形で雄勝町に、
仕事を立ち上げようと計画中です。

外から押し付けるよう仕事でなく、震災以前からあった
街の産業を復活しさらに魅力を引き出そうというのが
基本です。


雄勝町には、漁業をはじめ活気のある産業がいろいろと
あるのですが、そのうちのひとつ「雄勝すずり」は
600年以上の歴史を誇る、我が国が誇る伝統工芸です。

すずり、といっても書道に使うすずりだけでなく、
石としてとても貴重かつ芸術性の高さが認められ
高級建築材、具体的には屋根や敷石などで
古くから重用されているのです。

奥州一ノ宮、塩釜神社(塩釜市)の参道には、
雄勝のスズリ石がびっしりと敷かれています

雄勝の皆様の例にもれず(笑)、ホームページや
パンフレットなどでは地味な紹介しかされていませんが、
実際には、札幌市庁舎、塩釜神社など
多くの場所で、その風格を見ることができます。

現在復元中の東京駅駅舎にて、屋根材として
使われることになっています。(毎日jpより転載)

現在復元中の東京駅でも、屋根材として重要な部分を任されて
いるのです。(記事はこちら


その雄勝すずりですが、今回の津波で、壊滅的な被害を受けました。
工場、作業所、ギャラリー、産業会館などあらゆる施設が流され、
また、町内にある雄勝石を使った貴重な建物の多くも津波の
被害を受けてしまいました。

しかし、まだ職人の多くは残り、流出した石の中でも使えるものが
多くあります。 
現地では、自衛隊さんによる必死のガレキ撤去作業が続きますが、
このとき、貴重なスズリ石まで撤去されているのです。

まごのて救援隊は、雄勝硯組合の会長さんとお話をし、
組合の方々とともに、町内に散乱するスズリ石を集めよう!
ということになりました。

詳しくは電話、現地にて。

2011年4月24日日曜日

4月24日

★避難所の方々へささやかなご褒美。

石巻市中心部の様子。津波で壊滅していないとしても
ヘドロと共に床上浸水すると、家財はすべて使えなくなる


4月23日土曜日、最終新幹線で福島、東北本線各駅停車に乗り継いで仙台へ。仙台駅には「まごちゃん2号」がお迎えに来ていました。何度もこのブログに登場するワゴン車です。
緊急車両として患者さんを病院に搬送し、ある時はお風呂送迎、ある時は小学校のスクールバス、そしてまたドクターのお迎え、と一台何役もこなします。どしゃぶり横殴りの雨のなか、仙台から一路、石巻市雄勝町の避難所に向かいました。

それというのも。

「明日は朝、9時に診療に来てもらえますか?」いつも診療している石巻市雄勝町明神(みょうじん)避難所から、ご連絡があったからです。日曜日の朝は、物資輸送や地元の方々も移動するので、一本しかない道は渋滞します。何が何でも夜のうちに現地に到達しなければなりません。

石巻市雄勝町のあたりの気候は、大変変わりやすく、数日前は冷たい雨で、気温1℃。四月なのに。真冬並みの寒さが、あの震災の3月11日を思い起こさせるほどでした。
土曜は土曜で、バケツをひっくり返したような、ドリフの「8時だよ全員集合」(これわかる人は、年がだいたいわかりますよ・・・(笑)で水を頭からかける時みたいな、しかも風が強いので叩きつけるように容赦なく大粒の雨でした。
北上川沿いの道はもちろん街灯もなく真っ暗。鉄板を敷いて仮に通れるようにし道路、部分的に河川敷に迂回したりの悪路です。ちょっと道を反れたら北上川にドボン。ドライバーも真剣です。

なんとかクリーンセンター避難所にたどり着いたときには避難所の方々はとっくにスヤスヤ寝入っておられました。避難所の夜は早いのです。夕飯が5時。電気がないからテレビもなく、暗くなったら寝るという生活です。今回まごのての活動を応援するために東京から助っ人として同行してくれた I氏と石井は避難所泊、山王はまごちゃん2号車中泊となりました。

翌朝は昨夜の嵐がウソのように晴れ渡り、初夏を思わせる日差しです。

避難所の朝ごはん。

段ボールで届けられた野菜を使って、レタスとだいこん、人参でサラダを作りました。これと役場の職員さんが一つ一つ焼いた目玉焼き、ホウレンソウのお浸し、オレンジ、お味噌汁と御飯。いろどり良く、栄養豊富な朝ごはんになりました。みんなでたき火の周りでいただきました。

そうして明神避難所には無事9時前に到着。
いつも診察している方たちの顔がいつもと違います。華やいでいます。

「あらあ。今日は血圧いいですね!上が128、下が83。バッチリですねぇ。」と言うと、とっても嬉しそう。

顔色も良く、ほほ紅と口紅もつけていました。思わず「今日はきれいね~見違えた。どうしたの?」

なんでも皆さん連れだって、山形の温泉保養所に2泊3日の小旅行に出かけるのだそう。
避難所からのマイクロバス出発が10時だから、お出かけの準備をしてから診察だったのでした。

楽しい事、嬉しい事、温泉は何よりの薬のようです。温泉療法医の私(山王)が太鼓判押しますから、間違いありません(笑)

10時にお迎えのバスが来て、ご一行様、遠足に出かける子供のようにはしゃいで、乗り込んで行きました。
手を振って見送るまごのて救援隊の私たちに、いつまでも見えなくなるまで手を振って下さったみなさん顔が、嬉しそうに輝いていました。

この1か月半、ひもじい思いをし、寒い寒い避難所生活を強いられ、電気もない暗くて不自由な毎日。余震が続いて不安な中、町の再建の目途も立たず、仕事がないことも不安を掻き立てます。与えられた食糧、与えられた情報の中で、寄り添って生きてきた避難所の方々へ、今回の小旅行は、ささやかなご褒美でした。

早く早く、このささやかなご褒美が、笑顔が本物になるように、本当に安心して生活できる町が再建されるように祈らずにはいられませんでした。
いや、祈っていたのではだめです。本当の意味で町が再建するために、私たちにできる事をやりましょう。みなさんのお力と知恵を貸してください。

2011年4月23日土曜日

4月23日

★バスのおじさん★

「ねぇねぇ、おじちゃん」
誰のことだろう?と思ったが、どうやら自分のことらしい


昨日4/22より、まごのて救援隊で雄勝小学校のスクールバスを走らせることに
なりました。

正確にいえば、正規のスクールバスでルートに指定されなかった地域の
子供たちを送迎しています。 
石巻市雄勝町にあった小学校3校のうち、
津波で流された雄勝小、船越小は、となりの町の河北町にある仮設教室に
通うことになりました。 この2小学校の校区となる地域はその保護者の
家々も津波でほぼ全滅状態。 そのほとんどの家族が河北町の避難所に
身を寄せています。

一部、雄勝町に残っている児童もいます。 この児童の場合、市の教育委員会が
準備したスクールバスに乗ることができます。
また、仕事や仮設住宅などの関係で雄勝町内にも、河北町の避難所にも
入れず、市内の別の地域に身を寄せているかたも少なくありません。
そういう方の児童については、スクールバスは用意されていません。

このあたりについては、4月18日の記録「市長さん、こんにちは」に詳しく
のせています
http://magonote99.blogspot.com/2011/04/418.html



将来的には、雄勝町外から通う児童にも、何らかのスクールバスが
用意されるはずですが、現時点ではなかなか動きが見えません。

それでも、子供たちはどうしても、元々通っていた小学校に通いたい!と。

そこで、まごのて救援隊では、大人の都合で通学困難になった子供たちを
小学校まで送迎するサービスをはじめることにしました。



例年よりちょっと寒い今年、桜満開の仮校舎が迎えてくれます。
さぁ、今日も朝からバスのおじちゃん、行ってきます!

2011年4月22日金曜日

4月22日

★当たり前に見えるもの★


昨日の船越小、雄勝中の入学式に引き続き、今日は雄勝小学校の入学式でした。

新入生も、新学期のはじまった生徒たちも、新しい校舎で元気いっぱいの
授業再開です。



はじめてきた人には、あぁ新しい教室ができたね、という感じでしたが、
その、『当たり前の」教室にするまでには、先生方の必死の準備が
ありました。

仮教室が決まったのが数日前。
先生方は、がれきの散乱する津波に被災した校舎に通い、使えそうな備品を
探し出してきました。余震の続く中危険な作業です。

パーティションも、当初避難所でつかっていたものを町長さんが使ってもいいよ、
という打診もあったのですが、長期に耐えるかどうか、ということと、
学校に避難所の雰囲気をもちこみたくない、ということで、しっかりしたものを
用意しました。

元々、授業用の教室ではなかったので、黒板がない教室もあり、
移動式黒板を追加しました。パーティションや黒板の組み立ても
先生方総出で行いました。

そして、仕上げにみんなで華やかに「新入生おめでとう!」の飾りつけ。


生徒にとっても、親御さんにとっても、仮校舎はどんなところか不安だったでしょう。
先生方は、少しでも不安をとりのぞき、うん、ここならしっかり授業できるね、
と安心してもらうために、この数日間、必死の思いで準備をされてきたのです。

みんな見えないところで、がんばっています。

2011年4月21日木曜日

4月21日

★ぴかぴかの一年生!★


今日から学校が再開します。

石巻市の各小中学校で始業式、入学式が行われました。
全校生徒14人の船越小学校も、元・飯野川高校の仮設教室で元気いっぱいの
声が聞こえています。


本年度、たったひとりの入学式。
点呼された新入生の大きな返事が、会場いっぱいに響きます。


ところで、入学式直前にふと気づいたことがありました。
普通なら、入学式とか運動会につきものの「ビデオのおっかけ」
それが全然見当たりません。

それもそのはず、雄勝小、船越小の学区にあたる地域は学校も家々も
津波で完全に壊滅してしまい、撮影機材など残るはずもなかったのです。

思いもかけず、お手伝いすることが。
本業のひとつである、映像記録編集の仕事が、ここで役に立つことに。
雄勝小・船越小・雄勝中の3校の、入学式と授業開始の様子を
学校の公式記録として撮影し、DVD化し、生徒さんにプレゼントする
ことにしました。

本日は、船越小学校と雄勝中学校の入学式でした。
雄勝小学校は明日です。


1か月まごのての活動をするうちに、すっかり自分の本業を忘れて
いました。 大きなカメラでなく、手元にあった家庭用ハンディカムを
つかったので大げさにもならず、いい記録が撮れました^^

三脚がなかったので、廊下にあった掃除機の柄を代用してたら
子供たちに笑われましたが、、、

2011年4月20日水曜日

4月20日

★トラック野郎、小学校へ★

雄勝町役場のあらゆる公用車は津波で流されたけど、
唯一、この3トントラックだけは高台にあって難を逃れた。
震災直後から、物資輸送などで多くの人命を救う働きをし、
いまでも家を失った役場の方の寝床として大活躍中

雄勝小、船越小、雄勝中の始業式・入学式は4/21。黒板とパーティションを支援すると
決めたものの、果たして在庫はあるのか?市の教育委員会に相談するまでもなく、
現状では市からの支給品を待っていても半年1年は難しいはず。

よくよく考えたら、同じ様に被災した学校は山のようにあるのです。

そういうことで、母校・岡山県茶屋町小学校の教具納入業者さんを紹介して
頂き、無理を聞いていただくことに(笑)しました。 伊澤洋行さんと関西教具さん。
4/14の時点で両社に移動式黒板8枚、パーティション4教室分20枚ほか発注し、
納期は4/19でなんとか、と。

相当な無理だったようで、配達できないのはもちろん、100km
離れた仙台市と名取市の運送会社営業所に留め置きしてもらいました。
たかがパーティション、と思っていたら1トンもあった!

4/18に営業所に行ってみると、ものすごい量の荷物が。。
「一トンありますよ~」
ハイエースに載せられる量じゃない。パンクします。

ということで、トラックが使えないか、町で知り合ったあらゆるつてを頼りに
相談したところ、消防団長経由で、町長さんに話を通してもらい、快く応じて
頂きました。

運転手として協力頂いた、雄勝出身、雄勝役場ひとすじの鈴木さん。
一つの言葉、一つの動作すべてに優しさがあふれています。
午後、無事雄勝小、船越小に納品完了!
校長先生以下、先生総出で運んで頂きました
雄勝小学校の仮教室へ納品!
帰りには、役場のみなさんへ仙台名物「牛タン弁当」30食を調達してきました。
震災特別価格、1個500円。安い!うまい!

2011年4月19日火曜日

4月19日

★町のために★

最近、このホームページを見始めた方は、「あれ?まごのてって
医療支援チームでなかったの?」と思われるかもしれません。

かばんひとつで東へ西へ^^

まごのて救援隊が宮城県石巻市雄勝町にご縁があって以来、
1か月間ひとつの町に滞在し支援活動を続けることになりました。
その間、世界から、全国から、大勢の支援が寄せられました。
自衛隊さん、消防団、役所の方々などの奮闘は今も続きます。
住民の方々の必死の生活も続いています。

震災直後は物資を支援し、医療が必要とされてからは様々な形で
医療支援をさせていただいております。

交通の便も悪く、マスコミでもとりあげにくい場所だからでしょうか、
多くの支援者が1回、数日限りの支援とならざるを得ない中で、
まごのてがずっと雄勝町にいるだけで、様々な相談を持ちかけられる
ようになりました。

小学校の入学式準備にも、、
野菜が足りない、足が痛い、役場の情報が入らない、学校に行く足がない、
仕事がない、船を直せないか、少年団の活動場所がない、、、等々


私たち限られた力では、当初、一つの町+医療、という限定された範囲を
優先的テーマとして支援することに意味があると思っていました。
しかし、それは、私たち自身が、私たちができることを制限してしまって
いたようです。 

町は生きています。住民は活きています。

町民の生活にとっては、衣食住も、医療も、仕事も、教育も同じなんです。
私たちが勝手に、医療が最も役に立つだろう、という先入観にとらえられて
しまっていました。

教育支援チームに引き続き、就労支援チームも動き出しています。
具体的なことはのちほど。とにかくアイデアは尽きません。 


それでも変わらないのは、私たちができることをやるだけ。
それがモデルケースとなって、別の地で参考となればいいし、
もっともっと大きな組織の方がより有意義な支援ができれば
いいんですね。

2011年4月18日月曜日

4月18日

★市長さん、こんにちは★

中央左が亀山市長。上下左右からの縛りは大きいでしょうが
具体的な案を次々示し、できるとこはやりましょう!と
元気に答えて頂けたのは頼もしい。

動き始めた保護者のパワーはものすごい。
市長だろうが教育委員長だろうが、なんとかして頂けそうな方に
直接訴えようとの動きがはじまりました。

現場レベルの方は親身に相談してくれるのですが権限がないので
上からかけあうことに。 PTA他5名で、まごのても一緒に市役所の
市長室まで嘆願に行ってきました。

ただ、ここは都会のようにお互いの腹のさぐりあいではなく、ちゃんと
できることできないことをお互い本当に協力的に相談にのってくれる
ところが違います。
当然、市も同僚や県や国に気を使いますから、
本音とそうでないところがありますが、つい先月まで首都圏にて
人の傷口を攻める方々とばかりいたときとは雲泥の違いです。

今後の動きはともかく、スクールバスの件など、外部や教育委員会に
しっかり働きかけて頂けるよう約束頂きました。
市長への要望書。同席したまごのてが
なぜかNPO法人になってる。。。ま、いっか


14時から石巻市長との面会に引き続き、15時からは石巻市教育委員会
委員長代行(委員長不在のためNO.1)との話し合いがはじまりました。
石巻市の教育委員会としては、テレビでもさかんにとりあげられて
いた(らしい。。。テレビみれないので^^)大川小学校の対応をはじめ
対応すること山積みで、とても雄勝町のことを集中して考えることは
難しい雰囲気でした。

それでも、無理なことは無理といいながらも、親身になって
聞いていただき、具体的な案も示してくださいました。
先週にも、従来の教育委員会の方針で決まっていた
スクールバスの運行規約を変更(というか緊急事態なので)して
学区外である避難所の一部からの、仮設教室のある小学校への
送迎を認めてくれました。

まごちゃん2号も、市が対応できない地域に避難する
児童のスクールバスとして活躍する予定です☆


市内の交通インフラが少しずつでも復旧している地域と違い、
海沿いの静かな町まで、市の中枢の関心が届くのは時間が
かかります。

震災は多くのものを壊しましたが、
震災は、無用な人と人の壁も壊してくれ、地域を越え組織を越え
お互いに協力するようになったのは本当に嬉しいことですね^^

2011年4月17日日曜日

4月17日

★雄勝町 健康相談室 はじめました!★

東北新幹線が福島まで開通し、仙台空港が13日から再スタート。被災地への足が当初と比べて便利になりました。16日品川での診療後、新幹線と東北本線で仙台まで向かったのですが、強風のため、東北本線が運転見合わせに。。。今回も診察にこぎつけるまでが波乱の道のりになりました。


さて、17日日曜日、朝からいつも診察しているクリーンセンターと明神避難所の診療に訪れました。皆さんだいぶ落ち着いてきていました。診察後、次の診療の時間もあるし、避難所なんだから、気をつかっていただいてはかえって申し訳ないし、とやや急いで立とうとするところを、「まあまあ、そんなこと言わネデ」と、お茶と福島のお菓子「ままどおる」を勧めて下さいました。被災地同士で助け合っているなあ、と感心しました。おいしいお茶と温かいお気持ちがありがたく、ホっとするひと時でした。

14日木曜日も診察に来ましたが、このとき役場の方では、罹災証明発行が開始され、役場の前には長蛇の列。役場の方々が受診するどころではありませんでした。
朝礼で「今日は3時に保健福祉課で診療します。」とお伝えしても、市の職員は忙しくて自分のことどころではないのです。しかも、これまで診察場所としていたプレハブ保健福祉課には、いろいろな相談で入れ替わり立ち代わり人が入ってくるのもあって、落ち着いて診療できません。


前回の診察日4月14日のブログ(→こちら)でも綴ったように、
もはや一方的な診療スタイルも避難所には合わなくなってきました。

 いま、何が求められているだろう?

 自治体より、一歩先行く試みとして、

本日17日、無料 「健康相談室」を立ち上げました!!

これまでのように、食料の配給のような「決まった時間に一斉診療」でなく、
町医者のように、同じ先生が定期的に常駐するというのは、
震災後の雄勝町内でははじめてのことです。

ワゴン車の中を診療室として、じっくりゆっくり診察をしよう、ということで。


早速今日は消防団の団長さんがみえました。
なんでも震災当日、消防団の団員たちと、二階の窓から屋根に上ったものの、胸の上の高さまで津波が押し寄せ、もう飲み込まれる、みんな泳ぐんだ!というところで、二本の丸太が目の前に流れてきたそうです。「これにすがるしかない!神様がきっと寄こしてくれたんだ」必死にそれにつかまって、何とか山の上まで泳ぎ切りました。消防団服もびっしょり中まで水が染み透り、雪が降って寒い中、薪を燃やして何とか暖をとり、助かったのだそうです。

その日から、消防団のみなさんは、町の復興のために休みなく働いているそうです。自衛隊よりも国よりも早く。。町の人たちにとって、どんなにか有難かったことでしょう。


ややあって、ワゴン車の外を見慣れた方が通りかかったので、声をかけました。10日ほど前に診察した、痛風で手首が腫れてしまった方です。 「手の痛み、どうですか?」
いったんはよくなったけれど、薬を飲まなくなったらまた痛くなって、それでも市の職員である自分が診察を受けるなんて、と遠慮されて自分からは福祉課の診療室には来られなかったのです。 痛くて運転にも支障がでるくらいだったのに。。。 なんて健気(けなげ)なんでしょう。


小さな移動診療室では、皆さん心を開いてゆっくりお話しをしてくださいます。

大きな避難所には大きな団体から医師が派遣で巡回していますが、ほとんどの医療チームは2日ごとに交代で、同じ先生が続けて何度も診察することはありません。

私たちは、小さな診療室ですが、長期的に患者さんをフォローしていきたいと考えています。
こんな診察室があってもいいんじゃないか、と思います。

診療が終わると北上川を夕日が照らしていました。帰りの道のりも長いですが、温かい気持ちで帰京の途につきました。また来週。待っててくださいね~

2011年4月16日土曜日

4月16日

★倉敷から石巻へ。小学校から小学校への全面的支援★

被災地から遠く離れたところでは、支援したくてもいったい何をすればいいか分からない?
という方が少なくないのは、先日大分の件でもお伝えしたばかり。

それならば、ということで、まごのて救援隊では積極的に外部との窓口役として
具体的な支援のアイデアを投げ続けております。

そしてついに、大きなプロジェクト始動!



全校生徒数1200人!国内有数のマンモス小学校が、雄勝町の
小学校を支援頂けることになりました。

というか、ここは私の母校(笑)
始業式の準備真っ只中の4/5、突然朝一番に電話を
かけて、昼から校長先生と副校長先生に会って頂きました。

先日お伝えした神戸大学にひきつづき、茶屋町小学校の
岡校長先生も、その場で「全面的に支援しましょう!」と心強いお言葉。

今後、PTA総会など、親御さん、子供たちにも理解を頂きながら、
単なる義捐金や物資の支援というだけでなく、両校の交流などの
形ですすめたい、という校長先生のお話でした。

雄勝に帰ってきた後、雄勝小・船越小の先生方、保護者の方々と
相談し、4/21の雄勝小・船越小始業式に間に合うように、仮設教室に
必要な黒板と、教室を半分に割って別学年の教室にするための
しっかりしたパーティションを寄贈することになりました。

とりあえず、学校全体の支援の承認がおりるまでは、
茶屋町小学校OBとして、まごのて救援隊にて対応しています。

2011年4月15日金曜日

4月15日

 
★避難先の小学校じゃだめだ、元の小学校に行かせたい!★


これまで、指示待ちだった大人が、急に動き始めました。

こんな状態我慢ならん!と立ち上がった、保護者の父親。
嫌がらせやクビ覚悟で、教育委員会や校長の指示を待たずに
自ら動き始めた、勇気ある先生方。

始業式まで残り数日となった今、この方々とまごのて救援隊で、
安心して登校し、授業を始められる体制を整えようと
臨時職員室で緊急の話し合いが始まりました。


雄勝小学校・臨時職員室の黒板には、「まごのて」の文字も。

決めることは山のようにありますが、問題を整理して、
とにかく必要なことから決めていこうということに。

@現状把握

 ・雄勝小→河北中、船越小→飯野川高 の仮校舎は決定
 ・一部、教室でない部屋も流用するので黒板がない
 ・ひとつの教室を2学年が使うため、パーティションが必須
 ・教育委員会が手一杯なので、教具を依頼しても届くアテなし
 ・東北中の学校が被災しているので、メーカー納期未定
 ・津波で被災した学校には、使えるものがほとんど残っていない
 ・被災した町内から、町外の仮校舎までスクールバスは出るが
  町外の避難所、一時避難場所からは自力で通うよう通達あり
 ・元の学校に通うことを決めた生徒のほぼ全員が、家を失い近くの避難所にいるが、
  そこから学校まで、自衛隊やダンプが頻繁に往来する歩道すらない橋を渡ら
  なければならない。危険を承知で市もそこまで面倒見きれないとのこと。

 簡単にいえば、始業式を迎えようにも、生徒を安全に登校させることも
できなければ、登校した教室には授業を受ける最低限の環境もない、
ということ。


@最優先事項
 ・4/21までに、スクールバスの確保
 ・4/21までに、最低限の教具を確保


スクールバスについては、一部遠方で市が対応しない地域の
児童については、まごのて救援隊から出す案で決まりましたが、
すかさず教育委員会から責任問題の電話がかかってきました。
この件は、来週の保護者会まで持越し。

教具については、小さな教具はともかく、黒板のような
大きなものは、普通の方法では全く見込みないので、
発想を変えて裏技を出すことに。 明日の記事で発表。


子供を持つ親の必死さは、まさに鬼の形相。
校長だろうが教育委員長だろうがお構いなしに、強烈な訴えを続けます。

私も、5年前なら教育委員会や校長と大喧嘩をするところですが、
会社も経営するようになると、みんなが丸く収まるように
意外と大人の対応をしている自分にびっくりしています(笑)

先生方も、余震で崩壊の危険すらある被災した校舎に入り、
なんとか必要な教具を手分けして探し出しています。

タンバリンとハンドベルの入った箱を発見。
ただ、塩水をかぶって使えるかどうか疑問。。。

教具については、ランドセルやノート、鉛筆などは、民間の支援団体などから
むしろ十分すぎるほど届いています。

これについても、物資や医療と同様、現地の意見を聞くこともない支援者側の
一方的な主観による押し付けによって、無駄なものがあふれている状態です。
石巻市の教育委員会でも過剰な数千個のランドセルに困っているとのこと。

教育は、保護者と先生と生徒で、しっかりと考えられて進めるものです。

教具もしかり。 今日の話し合いで、教具については届けられたものを
無理に使うのでなく、みんなで話し合って子供たちのために本当に
必要なものを揃えようということになりました。

アンパンマンのノートを送られたからといって、
黄色いチューリップ帽子を送られたからといって、
みんなが統一して使わなきゃいけないの?


  始業式まで、あと6日

2011年4月14日木曜日

4月14日

 
★診察に誰もこない!?★

教育の話が熱くなっていますが、医療支援も引き続き大切なこと。
昨夜も、山王が東京での診察後に新幹線ですっ飛んできて、
早朝から避難所や個人宅にて無料診察を行いました。


避難所は、比較的落ち着いてきました。

先週までの避難所は燃料がないため身動きとれず、何をするにも
いわば配給待ちの状態でした。
それが、今週になっていきなり市中にガソリンが出回りはじめ、
にわかに人の動きが活発になってきました。

避難所生活も1か月。

飢えないとしても、毎日が菓子パン・コンビニおにぎり・カップめんでは
食欲もなくなるし、栄養も完全に偏ります。
それでも、自ら動けないうちは、餌を待つヒナのように、なかなか
意思を出すことができませんでした。

石巻市街地では、病院が再開しはじめ、避難所での
診療に頼らない患者であふれている

診察なしで薬だけ渡すという病院も。
医療機関の消失した雄勝町では薬すら配給だのみ。

物資の配給と同じように、医療についても同様の状態。

震災直後は、とにかく医師であれば誰でも有難がられました。
しばらくして緊急性のある患者も対応が終わり、比較的落ち着いてくると、
物資と同じように住民側の意思も出始めました。

各避難所への巡回医師が2,3日で入れ替わり、しかも眼科から外科、
産婦人科、小児科・・・と様々な専門の方が入り乱れるため、
たとえカルテの申し送りがなされたとしても、患者が先生に一回ごとに
説明するのがいい加減面倒になったとしても当然のこと。

毎朝、役場の保健福祉課で行われる医療班ミーティング。
2,3日で担当医師が変わるため、そのたびに
役場の方も一から説明しなければならない

まごのて救援隊の助言で、日赤チームも独自のカルテを
引き継ぐ様になったのは一歩前進。 ただ、患者さん
ひとりひとりの細かいことまでは引き継げない。。。

ガソリンが入ったため、お風呂に入りにいったり、仕事や手続きに出たりと、
にわかに人の動きが活発化するようになったことで、
これまでのように、指定時間に避難所に診察に訪れても
ほとんど人がいない、というケースも出てきました。


そろそろ、一方的な避難所巡回も、必要ではなくなってきたのでは
ないでしょうか。 

2011年4月13日水曜日

4月13日

★”大人の都合”徹底打破作戦 開始★

学級崩壊、モンスターペアレンツ、無気力教師、無責任校長、
御都合教育委員会、文科省、、、、

ちまたで良く聞くこれらの話題、個人的には全く関心ないですね。

子供は、素直です。
親御さんは、親身です。
先生は、真剣です。
行政は、頑張ってます。

そういったことが、なかなか記事にならないのが残念です。
揚げ足を取るより、いいところを互いに感謝し、助け合うのが、
日本人の得意ではとするところではないでしょうか?


さて、4/12より、石巻市立雄勝小、船越小の周辺がにわかに熱くなって
きました。

船越小学校の仮校舎がおかれる、最近廃校となった
宮城県立飯野川高校


「雄勝小・船越小・雄勝中の3校は、飯野川高校に仮校舎を設ける」
という決定事項が、始業式まで残すところ10日となった4/11に、
何の説明もなく突然白紙に。
仮校舎の場所が雄勝小だけ、河北中学校に移るとのこと。
(新聞記事から推察すると、直近にも別の決定が覆された模様)
雄勝小学校の仮教室を受け入れることとなった
石巻市立河北中学校。 
こんな環境で育った子供が純粋にならないはずがない

小学校の方針は、保護者の避難所・仮設住宅選定にまで影響する大きな事柄。
一旦入学先を決めたらなかなか変えられないものなので、生徒や保護者を
完全に無視した不可解な決定に、部外者の私ですら怒り爆発。

まずは、一日がかりで、町役場、避難所、雄勝小臨時職員室、
船越小臨時職員室、両行の校長先生、市の教育委員会、
仮校舎予定地など、走り回ってとにかく実態を把握しました。
石巻市役所5Fが教育委員会。 市街地のこの付近も
津波の影響大きく、職員も全く余裕なしの状態

始業式まで残すところ9日の状態で、問題山積み。

@人の問題
 ・保護者や生徒が市内各地に分散している
 ・学校と保護者との話し合う場がない
 ・先生が上司の指示待ち状態

@校舎の問題
 ・4/11の決定が最終案なのか誰も知らない
 ・受け入れ先の学校が、寝耳に水の話で完全にウェルカムでない
 ・仮校舎でどの部屋を使うか、二転三転している
 ・もともと教室ではない部屋を転用するため、黒板すらない部屋多い
 ・教具がない。支援の話や市の用意の話もあるが何がいつ届くか検討つかない。

@体制の問題
 ・2005年までは雄勝町として意思決定できたが、石巻市に併合されたため
  何をするにも市の決定が必要となった
 ・その併合も、元々財政の豊かでない1市6町が半ば強制的に集まって
  できたこともあり、市の中枢側からは後から来た町に冷遇
 ・市の中心部も津波の影響が大きく、人的パワー不足
 ・教育委員会が、大川小学校の責任問題など、他に抱える案件が多すぎる

などなど。書いててもきりがないくらい。

なによりも問題なのは、そのような事態において

 「大人が混乱の責任について周囲の文句をいうだけで、
  ”子供にとって”最善を尽くす雰囲気がない」

ことでした。
そのような中、ついに業を煮やした保護者と教職員の有志が立ち上がったのです!
すぐにまごのて救援隊と合流することになったのも、自然な成り行きでした。

2011年4月12日火曜日

4月12日

 
★引き継がれぬ校舎/引き継がれる歴史 ★

宮城県石巻市立 雄勝小学校
 ・・・ 明治6年開校、創立135年 全校生徒91名、津波で壊滅




宮城県石巻市立 船越小学校
 ・・・ 同じく、明治6年開校、創立135年 全校生徒16名、津波で壊滅


※これらの写真は支援者に伝えるため、学校の許可を頂き撮影したものです


昨日4月11日、雄勝町の隣町、河北地区の飯野川中学校という避難所に、
町役場の情報共有のために訪れた時のことです。
その場にいた、雄勝町から避難してきた若いお母さんに、ふと聞かれました

「うちの学校はどうなるのでしょう?」

初め、何のことか意味がわかりませんでした。
教育のことはあまり詳しくない私、避難された小学生は、避難先の
大きな被害もない近くの小学校に通って、普通に新学期を
始めるものとしか考えたことありませんでした。

「 始業式まで10日しかないのに、何も決まってないのです、、」

不思議に思い、先のお母さんをはじめ、その場にいた保護者を引き込んで
いったいどうなっているのか聞き、その有様に愕然としました。

校舎を失った小学校に対して、震災後1か月たったにも関わらず、
保護者に対して正式な情報は何一つ入っていません。
石巻市の教育委員会が発表した雄勝小・船越小の仮校舎受け入れ先でさえ、
今日4/11になっていきなり白紙に戻されたとのこと。 つまり、どこで授業するか、
という、基本の基本すら決まっていない。。。
教育委員会が発表し、新聞という公式なメディアに載った内容すら信用できない。
船越小が河北中、雄勝小が飯野川高で入学式するという決定は白紙とされた。

子供を持つご家庭では、なによりも学校の環境を優先に、生活基盤を
整えたいと思うのは全国どこでも同じこと。 特にこの雄勝町では
地元への愛着が強く、子供をできるだけ同じ生徒同士で授業が
受けられるように、親類のツテがあったとしても、不便な避難所生活を
選ばれる方が少なくないのです。

 愚痴、不満、あきらめ。

教育委員会が、校長が、先生方が、そして保護者の一部までも、
希望とかけ離れた現状に対して、「非常時だからしょうがないか」
という半ばあきらめた気持ちがあるのを直感しました。

 主役は、子供たちだ! 大人の都合にするな!!!!

まごのて救援隊、出動です!

2011年4月11日月曜日

4月11日


1か月が、過ぎました。
早かったような、長かったような。




宮城県石巻市雄勝町、人口4000人。
震災発生後4日目の、3月15日、集計できるだけで2116人だった避難者が、
1か月後には1100人あまり、半数に。

数字でみれば、避難所が半分になったように見えるけど、
実際は、雄勝町内の ”避難所にいる人が” 半分になっただけ。

町の大半が津波にさらわれ、住む場所を失った方は、
どこに避難しようと、家を失った町民であることは変わりない。

私たちに、何ができるだろう。


物資支援、そして、医療支援。

3月21日以降ほとんど毎日、雄勝町で過ごした。
その間、多くの人々が、物資を支援し、医療を支援し、そして
温かい心を、届けてくださった。 本当に、うれしかった。

1か月たったいま、ふと、考えてみた。

同じ人が、2度目の支援に、来たことがあっただろうか?

同じ患者さんに2度、3度、4度、、、、と診察するうちに、
長期支援の大切さを、実感するようになった。



「大丈夫、また来週もくるからね」

その一言で、ほっとするおばあちゃんの笑顔。

私たちは、この町で、できる限り長く、この町が復興するまで、
支援していくことを、決めました。 たった二人だけでも。


わずか2週間で、119名の方より、141万3375円のご支援を頂きました。
ありがとう、ございます。 もう、それ以上なんといったらいいのでしょう。

明日より、まごのて救援隊は、医療支援チームに加え、教育支援チームを
立ち上げます。 立ち上げるといっても、相変わらず二人ですが(笑)

今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。

平成23年4月11日
まごのて救援隊 代表 山王直子 / 石井肇