2011年12月30日金曜日

雄勝での震災発生の1年を振り返って

2011年も、もうすぐ終わろうとしています。

3月11日の東日本震災発生後、翌日12日に東北に向かいました。
乗用車に食糧や水など思いつくものをできる限り詰め込んで。

雄勝との出会いは3月21日。北上町の避難所で「陸の孤島化してもっと困っている地区がある。」との情報を得たからです。道が寸断され、倒木と亀裂が入った雪の真野林道を抜けて雄勝に入ると、信じられない光景が広がっていたのです。
建物は全くなくなり、人の気配もなく、、、町が消滅していたのです。

3月21日 クリーンセンターからみた雄勝
災害対策本部となっていたクリーンセンターを探し当て、役場の方たちに、
「医師ですが、何かできることはありませんか?」
「それは助かった。すぐに診てください」 震災後10日、多くの避難所では
医師が来ない状況だったのです。

避難所の人たちに案内され、畳の上に段ボールを置いて診療が始まりました。
順番に血圧を測り、お話を聞いて診察をしていきますが、
取り乱したり、我先に、という人は一人もいません。
皆さんとても辛抱強く、お互いいたわり気づかい合っているのが伝わってきました。

避難所での診察風景。3月21日、明神避難所にて
ここでの出会いが、私達にとっても大きな転機となりました。
雄勝の人たちのために、何とかできることをしたい。

以来毎週、時間が許す限り、東京と雄勝を往復する日々が始まりました。

当初は避難所での診察と、食糧や燃料、衣類など物資支援を続けていたのですが
何度も往復する中で、雄勝のみなさんから色々な相談を受けることになりました。
店の再建のこと、学校のこと、住居のこと、、

私たちができることは限られています。しかし、受けた相談に対してはとにかく
すぐに何か動いてみました。動けば何かが見えてきました。手伝ってくれる方も
出てきました。

唐突に4月22日に学校が再開することになった雄勝小学校ですが
仮設教室には間仕切りも黒板もなく、急遽用意しました。
子供達が新たな教室に少しでも不安がないように。

その後、ひとつの転機は、仮設住宅の希望調査が始まったことです。
住民にとって、雄勝に残ろうかどうしようか、という選択を迫られた際に、
医療が大きな条件となったのです。

ある日、避難所の診察中に聞いたおばあちゃんの声が私たちの胸に響きました
『ずっと同じ先生に診てもらいたい。それが無いとこの町に居たくても居られないのです』
同じような思いを何人もの方が聞くのを耳にし、考える日々が続きました。 

「町に医者がいなければ町がなくなってしまう」

5月29日に、すこしでも多くの方に雄勝に戻っていただきたい、という気持ちから「雄勝まごのて診療所」を開設しました。

地元の水産会社の建物を無償で貸して頂き、備品の多くを
町の特養施設から借り受けました。わずか2週間で開院
できたのは、支援頂いた皆様のおかげです!
診療所には毎週、患者さんが足を運ばれます。主にご高齢の高血圧や糖尿病や腰痛・膝関節の痛みなどの慢性疾患の方々です。90歳を超える方もいらっしゃいますが、とてもお元気で、よく話をします。東北の方は無口でおとなしいと思っていたのは、全くちがって、嬉しい勘違いでした。

診察してお話をすると、こちらも癒されて、元気をもらいます。

震災後、しばらくの間は気が張っていたのですが、
9か月を過ぎ、体力や気力の低下が気になります。
寒い冬を乗り切って、いただきたいものです。

医療面は落ち着いてきましたが、雄勝町にとってもうひとつ大きな課題が残っています。

この町をどう再生するかです。

できるだけ多くの人が戻り、活気が戻り、安心して住める町。
三陸海岸特有の急峻な山間に限られた平地という土地ゆえに、簡単に答えは
でないかもしれません。しかし、『この町に戻りたい!』という思いが少しでもかなうよう
願ってなりません。


新しい2012年が、東北の人たちにとって、良い年になるように。
私達はこれからも、活動を続けていきます。

今年一年、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
来年は日本中が幸せになりますように。

2011年12月18日日曜日

診療所にクリスマスプレゼントが

12月18日日曜の朝、いつものように「まごのて診療所」を始めようとしていたら、
一つの段ボール箱が届きました。
兵庫県明石市からのお届け物です。中には手作りの「元気袋」、色とりどりのペットボトル入れや、クリスマス飾りがメッセージと一緒に入っていました。
「東北の冬は厳しいでしょう。少しでもいいお正月を皆様がお迎えできることをお祈りしています」



5月にも手提げ袋などをたくさんお送りいただいて、
診療にいらっしゃる患者さんがお薬を入れるのに
重宝だと、喜んで持ち帰っていました。
今回も袋物は大人気。
さっそく待合室で、いろいろ選んで、話もはずみます。




まごのて診療所の入り口も、クリスマス飾りで華やかに。
診療所のマスコット「まごちゃん」もニコニコです。

年内は26日まで、年始は1月8日からの診療です。

雄勝はすっかり寒くなり、今朝は水道が凍ってしまって、水が出ませんでした。
でも診療所の患者さんたちの間ではインフルエンザは今のところは発生していませんし、仮設住宅の方々は元気に生活しています。

全国からの温かいお気持ち本当にありがとうございます。
元気をいただいて、寒い冬を乗り切っていきたいと思います。

おがつ店こ屋街 善意の看板

11月19日、雄勝の新しい商店街
「おがつ店こ屋街(たなこやがい)」がオープンしました。

雄勝の方にとってなじみのスーパーや八百屋さん、
お寿司屋さんなど全部で11店舗が軒を連ねています。

その、店こ屋の各店舗を飾る看板は、ある東京の
看板屋さんが、
『居ても立っても居られない何かできることはないか』、と
たまたまTVで見られたまごのて救援隊に問い合わせを
頂いたことから、支援頂くことになりました。




ほかにもたくさん無償で作って頂きました。
皆さまの温かい善意に感謝です!

2011年12月17日土曜日

月刊おがつ12月号 (編集 最終回です)

来年から月刊おがつの編集メンバーが変わります。
取材でみなさんとお話するのが楽しかったので、ちょっと残念です。
温かいメッセージありがとうございました。

月刊おがつ 11月号カラー

遅くなりましたが、、11月号です。 カラー版にしてみました。


11月19日~20日に開催された「おがつ店こ屋街 開店記念 おがつ復興市」にて
”月刊おがつ”ブースを出しました。
特別カラー版の前には多くの方が集まりました。

2011年11月29日火曜日

「雄勝中心部は建築規制かけないでかさ上げを」の意見多く、市/支所は地区の意向とりまとめる方針へ@石巻市雄勝町 意見交換会

『本音を言え!』 


『あんたたちはこの町を消したいんだろ!』


11月27日、雄勝総合支所で行われた、住民と市長・市職員との
意見交換会は、熾烈なものでした。

会場を埋め尽くした約100名の雄勝町民は、
石巻市が秘密裡に行っているという、
雄勝の息の根を止める永久建築規制(建築基準法第39条)に
マッタをかけるよう、意見が一致しました。

 平地のほとんどない雄勝町にとって、浸水域の
 永久建築規制は、町の死を意味します。

 雄勝には、600年の伝統を誇る雄勝すずりと雄勝法印神楽
 そして八景島、と3つも国指定の文化財があるのです。



 

これらは、雄勝町民の宝なのです。

石巻市にとって、いえ県にとっても国にとっても
大変貴重な文化なのです。それが、市長をはじめ石巻市役所・
雄勝総合支所関係者の責任放棄によって消えようとするのです。



結果、亀山紘石巻市長・桜田公二建設部長・相澤清也雄勝総合支所長の3名は
住民の合意なしに、建築規制をかけないと明言しました。

しかし、12月2日からはじまる、石巻市議会で
条例可決する方針は変えていない様子。

こういう茶番は雄勝町民は慣れている様子ですが、
今回は町の死活問題なので、黙っているわけにはいきません。

ここまで住民を馬鹿にした行政を許せません。

いろいろな意味で、雄勝町は被災地のモデルケースに
なっています。これ以上、二次被害者が増えないよう
全力を尽くします。

 この問題の専用サイトを作りました!
   ↓ ↓ ↓

  http://magonote11.blogspot.com/

2011年11月25日金曜日

8か月が過ぎました

3月11日の震災から 8か月が過ぎました。

3月21日から毎週、石巻市雄勝町に通っています。

はじめは避難所の巡回診療、残された個人宅の往診でした。
ご高齢で歩けない方、津波から走って逃げたときに無理をして怪我したり、足腰を痛めた方。

避難所では診療の合間に、多くの方々から津波の時の様子を伺いました。
避難後寒かったこと、連絡が取れずに心細かったこと、何日もあえなかったこと、空腹に耐えたことなどなど。

5月初旬に巡回診療は、石巻合同医療チームに統合されることとなり、他の医師団が次々と撤退していきました。住民は、遠く離れた市内の病院への交通手段を持たないまま、取り残されてしまいました。
「病院がなければ町に住めない」と去っていく人もいる、という声を聴き、

5月29日に雄勝まごのて診療所を開設しました。

レントゲンやCTなどの設備はありません。町の方から無償で提供していただいた、作業場を診察室とし、これまた町の老人ホームから無償でお借りした机やベッド、トレイなどで診療を始めました。
高血圧や糖尿病、腰痛などのの持病を持った方、不安で眠れない、思い出して涙が出る、などの心のケア、ちょっとした風邪や鼻炎、腹痛など。
ささいなことでも、お話を伺って、大丈夫と言ってあげると安心していただけるようです。

8か月が経過し、
「まだ(被災地に)行ってるんですか??」と半ばあきれ顔に きかれます。

まだ必要とする方々がいらっしゃると感じる限り、続けていきます。

今日現在で、屋上まで津波があがった役場から見た、
雄勝のメインストリート。手前の仮設商店街のほかは、
廃墟となった銀行・郵便局・ガソリンスタンドがあるだけ。
数百件あった家や商店はあとかたもありません。
海がきれいに見えるのは、堤防が倒れたままだから、、、

東北は寒さが厳しく、月曜日11月21日は1℃。 みぞれが降りました。

体力・免疫力が低下した方々のインフルエンザや肺炎が心配です。

仮設での集団感染を防ぐためには、予防接種が必要です。市立病院(10月に開院)・石巻日赤病院にいけば、公費で無料接種できます。しかし、今はやっと再生しかけた海の作業などで忙しく、仮設住宅から交通手段が少ないため、まごのて診療所に来ている被災者の方々に、
「あっちに行けばタダですよ。」と言っても、遠いし時間かかるから、となかなか足が向かいません。

被災者は、限られた条件で、必死に生活の再建をしています。
日曜日しか休みがない方も少なくなく、遠くの集落からも
「まごのてが開いててよかった~」と受診される方が絶えません。

現地は、みなさん明るく振舞っていますが、まだまだ余裕などありません。
私たちができる、精いっぱいの「かゆいところに手が届く」支援を
今後も続けてまいります。

今一度
温かいご協力をお願いします。

2011年11月15日火曜日

11月14日

■雄勝の再建を話し合う■

震災から10日後に雄勝町に来てから、あっという間に8か月が経とうとしています。
雄勝の方々は、漁業の復活や仮設住宅・仮設店舗による生活が
はじまることでようやく落ち着いて来たとの声をきくようになりました。


ところが先月中旬に、石巻市は雄勝町全世帯に、今後の住む場所についての
最終決定を迫ったのです。締め切りは11/6。

「今の時点で高台移転するか。それ以外の方の土地は確保しない。
 浸水地域には住めない方向です」

つまり、雄勝の全住民は唐突に、11/6までに人生を決めなければならない
事態に陥りました。

もちろん、8か月の間に『私は高台移転する』『もうこの町には住めない』
と決めた方もいらっしゃいます。しかし、診療所や”月刊おがつ”での取材や
復興市などで多くの方と話を聞いている印象では、まだ多くの方が
『まだ迷っている』 もしくは『高台でなく、今の土地をかさ上げすれば住める』
と考えています。



5月より、石井は「雄勝震災復興まちづくり協議会」の委員として
住民のみなさんの声を聴いてきました。

上のような住民の声を切り捨てて、国のスケジュールを逆算すると今決めなければ
ならないんだ、という市の方針に大きな疑問を持ちます。

住民のみなさんや他委員の後押しもあり住民の声を受けて、
山王と石井、ふたりで仮設住宅一軒一軒200世帯以上を
個別に訪問し、アンケートを実施しました。

また11月13日と14日に、個人での主催で集会を行い
皆さんの意見をききました。



ここでの結果を、11/15に実施される「雄勝震災復興まちづくり協議会」に示します。

2011年10月25日火曜日

雄勝の中学生、11月5日東京駅で輪太鼓演奏します!

雄勝中の全校生徒による「和太鼓」ならぬ「輪太鼓」の演奏が、11月5日(土)の13時過ぎから、東京駅丸の内地下北口の「動輪広場」(汽車の車輪待ち合わせ場所前)で行われることが決まりました。タイヤにビニールを巻いたお手製ですが、これがなかなかどうして、ずっしりお腹に響く本格的な音です。




前にもブログでご紹介しましたが、東京駅の屋根瓦は、雄勝スレートでできています。3.11の津波で流されてしまったスレートが、雄勝硯組合の呼びかけで、ボランティアによって回収され、洗い清められてから搬送され、無事使用されることになりました。

その縁で、雄勝中の生徒の東京駅での太鼓演奏が実現したのです。みなさん、雄勝の中学生の晴れ姿、ぜひ応援してあげてください! 

2011年10月10日月曜日

10月10日

★海★

震災直後、雄勝の漁師さんはことごとく「こりゃもうやめるしかないな」と
津波でことごとく破壊された船や養殖いかだ、堤防や港の施設を見て
漁師をやめる覚悟の方が何人もいらっしゃいました。

しかし
カキの種付け

ウニ漁

銀サケ 養殖☆
少しずつですが、見事に復活しています。
診療所の前の道は、仮設住宅から海に向かう道沿いにあるため
朝から元気よく軽トラが行ったり来たりです。
今日の患者さんは「このトラックの音が聞こえると元気になるね」と
嬉しそうでした。海で生きる方には、海の復活がなによりのお薬ですね。

雄勝には若い漁師が集まって「Oh!ガッツ」という、漁業の革新に挑む人たちが
います。是非応援してあげてください → http://oh-guts.jp/

2011年10月1日土曜日

10月1日

★月刊おがつ 第3号★

10月号出ました。
町の内外で、このかわら版を待っているという方が
たくさんいらっしゃると聞きました。嬉しいです。

雄勝の小中学校や仮設住宅に「月刊おがつです~」と取材にいくと
困るほどの情報を教えてくれます。A3両面で収めるのが
大変です。

pdf版はこちら →      ウラ



ふとしたきっかけではじめた、かわら版編集ですが、
復興にもこういう形のお手伝いもあるのかな、と
今更におもっています。

2011年9月27日火曜日

台風15号は被災地にも

日本全国に大きな爪痕を残していった台風15号、みなさんはご無事でしたでしょうか。
都内でも鉄道がストップし、帰宅の足を奪われて大変な目にあわれた方もいらっしゃると思います。
私(山王)が品川のクリニックで夜を明かしていたその頃・・・

台風は被災地も直撃し、容赦なく大雨と風をたたきつけて通り過ぎて行きました。
全国のメディアに報道されることは ほとんどありませんでしたが、

雄勝も大きな被害を受けていました。河北新報22日によれば、雄勝の雨量は宮城県でも最も多く、降り始めから22日午前6時までの雨量は532.5ミリ。

道路は滝のように水が流れ、ようやく水が引いて雑草が生えはじめていた釜谷地区は、また水没しました。

海岸沿いの防波堤が決壊した場所には、津波防止のため土嚢を積んでいましたが、これが山からの雨水をせき止めてしまって、水はけが悪く、道路は、どこが道だか判別できないほどに水浸しになってしまったそうです。

やっとの思いで再開したばかりの仮作業所、仮店舗が泥だらけになってしまった町の方もいました。
がっくり肩を落としながらも、黙々と「泥出し」作業をする姿が見られました。

そして、「まごちゃん」こと、まごのて救援隊のブログに登場するワゴン車(四輪駆動のディーゼル)も、あえなく水没してしまいました。本当によく走ってくれていたのですが。可哀そうなことをしました。


というわけで、今週末は替りの軽トラック(売り物です)で仙台から雄勝までの道を往復する事になってしまいました。ちょっとしんどかったです。。。

東北は暗くなるのも早く、寒さも急速に近づいてきています。

半年以上が過ぎ、東北の被災地以外では、大震災も既に過去の事になりつつありますが、
まだまだ復興までの道のりは長いです。 どうぞ温かいご支援をよろしくお願い致します。

2011年9月21日水曜日

9月11日

今日で震災後6か月になりました。

診療所に訪れる患者さんたちの様子も、すこしずつ変化してきました。

最初のころは気が張っていて、「がんばっぺ!」 という気力が感じられたものでした。
大変な震災にも関わらず、明るくて気丈な方たちだなあ、と感嘆していました。

この頃は、やや様子が変わってきています。
何もない。家も仕事も。家族をなくされた方もいます。親しい友人が犠牲になった方、近所の人と離れて,暮らさなくてはならない方。船も仕事場も仕事の道具もない。将来の展望も見えない。
家が全壊した世帯は、石巻市では100万円が支給され、新たに建て替える場合には200万円が新たに支給されるそうです。しかし、たった300万円で、いったい何ができるでしょう。家を建て替えることもできません。仕事の準備もできません。

診療所の待合室から見える風景。
本来はこんなに海が見えない部屋なのに、階下の家々が
津波で流された為に景色が一変してしまいました。
正面の家も間もなく取り壊されます

将来が見えない事はとても不安ですし、辛いです。

今日診察に見えた70代の女性、ご家族を2人なくされていますが、いつもは明るくて元気いっぱい。
でもポツリと、「家がなくなって、家族の寄り処がなくなってしまった。息子や娘に帰って来いともいえない。家があってこその、親だからサ。」と、寂しそうに こぼしていました。

9月11日、雄勝町では津波発生時刻の午後2時45分、1分間サイレンが町内に鳴り響き、
黙祷がささげられました。

町のみなさんが、早く将来の希望が持てるよう、願わずにいられません。

2011年9月10日土曜日

★9/11 NHKラジオ第一(AM)で雄勝特集2時間半です★

AM放送

NHK第一放送 昼1:30~4:00まで

現地生中継ほか、まごのて診療所の特集もあるそうです。

各地の周波数はこちら
http://www.nhk.or.jp/r1/amradio/tvres5/h50302.htm

電波が入りにくいところでは、インターネットでも
NHKラジオ第一が聞けるそうです
http://www3.nhk.or.jp/netradio/
左の赤いボタン「R1」を押すだけ。


東日本大震災から半年~ほんとうの復興のために~
http://www.nhk.or.jp/radiosp/s-hantoshi/

9月5日

4日日曜の朝、いつものように「雄勝まごのて診療所」に来てみると、朝からたくさんの患者さんが待合室で待っておられました。

毎週毎週、すこしずつ患者さんが増えてきています。おばあちゃんが来ると、そのあと娘さん、お孫さん、親戚のおばちゃん、という具合。ご家族でいらっしゃってます。
3人ならゆっくり話せる狭い待合室ですが、最近は10人以上
待っている(お茶のみしてる?)ということもしばしば。

待合室のにぎやかな事と言ったら!話がはずむ弾む。
どちらかというと談話が主な目的で、診察はついでって感じでしょうか(笑)。

高血圧の患者さんと、腰痛・膝を痛めている方。
ちょっと眠れないとか、不安、という方もいらっしゃいますが、明るい方がほとんどです。

受付を手伝ってくださっているのは地元の歯科で働いていた事務の女性です。
小さい町なので、町内の方々はほとんど顔見知り。
ささっとカルテを準備してくださって、「〇〇さんお元気?」とすぐに会話が始まるので、
とてもありがたいです。

ただ、町内には薬局がないので、処方箋を発行しても買いに行くことができないため、
お薬はほとんど院内処方です。
品川のクリニックから持ち込んだり、新たに購入してできる限りそろえていますが、
どうしても種類は限られます。
足りないお薬は処方箋を発行し、私たちまごのて救援隊が薬局まで行って、お薬と引き換え、
翌週にお渡しするか、急ぐ場合には直接郵送してもらっています。

9月29日より「市立雄勝診療所」が月曜日~金曜日に開設されることになるそうです。住民の方々が安心して住めるような医療体制が整うことになれば、こんなに嬉しいことはありません。

今しばらくは、「雄勝まごのて診療所」の待合室は談笑でにぎわうことでしょう。

2011年9月1日木曜日

9月1日

★月刊おがつ 9月号★

月刊おがつVol.2 発行しました。
雄勝は元気な話題が多くて記事に困りません^^

読者からの提案ではじめることにした
「おがつ俳句」
川柳でもいいしなんでもいいし、
多くの方からお便りくるといいな

<見出し>
・しめやかに灯篭流し
・新潟より漁船32隻
・雄中輪太鼓 猛練習中!
・「OHガッツ」 新たな船出
・まちづくり委 長岡視察
・埼玉からの支援ありがとう
・ラジオで2時間半 雄勝の特集
・読者の声

2011年8月28日日曜日

8月28日



月刊おがつ、雄勝のみなさんに喜んで頂いてなによりです。
特に、雄勝の外に避難されている方に知っていただきたいですね

県外にいらっしゃる雄勝の方にも紹介したい!と思っていると
ありがたいことに全国紙でも紹介していただきました

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201108270371.html

第2号発行は9月1日です。

2011年8月16日火曜日

8月16日

★とうろうながし★

雄勝町でお盆の例年行事として行われている、お盆の灯篭ながし。

今年は開催が危ぶまれていましたが、商工会青年部が
立ち上がり、自主的に行われることになりました。

匠の技や舞楽などと同じく、伝統は一回でも途絶えてしまうと
再開が本当に難しくなります。


亡くなられた家族親類を思い
本当によかった、本当によかったね、、、

と目に涙を浮かべながら灯篭を海に送る姿が忘れられません。

町の一員として、私もそっと流した灯篭は、静かに沖へと向かっていきました

2011年8月14日日曜日

8月13日

★第3回おがつ復興市★
毎月恒例となったおがつ復興市、今回も会場を盛り上げるために
ポスター&ちらし作成、そしてかき氷屋さんとして
まごのてから加勢させて頂きました。

今回作成したポスターは
「船出」を意識しました。 雄勝町船越地区の港を撮りました。

ちなみに
津波ですべてを失った町が、堤防が壊れた故にみえた
本当の海の美しさをとりあげた第1回のポスター。
雄勝町水浜地区の海岸を撮りました

2回目は、ガレキの中から再建する力強さを、
偶然にも街中に旗めいていた、かつての雄勝最大の
カツオ船「雄勝丸」の大漁旗とともに、町の中心部だった
雄勝町伊勢畑地区を俯瞰しています


当日は、お盆ということもあって町外や県外に避難されている
方々も戻ってこられていました。

早くこの賑わいが、毎日の暮らしに戻りますように


2011年8月9日火曜日

8月9日

★町の新聞できました★

16万人の石巻市の中で、現在1000人となってしまった雄勝町では、
何事もなかなか思うように事が進みません。

市も県も国もいろいろと頑張っていますが、末端まで届くのは
しばらくかかりそう。 みなさん頑張っているんだから
不平不満いうより、動く人は自分で動きましょう!
ということで、雄勝町では、石巻市が復興の青写真を作る前に、
独自で「雄勝地区復興まちづくり協議会」を立ち上げました。

町の地区会長さん、商工会、硯組合の代表に公募を含めて
まさにまちぐるみで一致団結して復興しよう!というわけです。
わたし(石井)も、委員のひとりとして参加させて頂いてます。


そして、協議会のアンケートで、町の方々・特に町外に
避難されている方々から、まちの情報が欲しい!という
声を多く頂きました。
その声を受けて、全町民にむけての雄勝独自のかわら版を
つくることになり、どういうわけか、私(石井)が編集長と
いうことに。

名前は勝手に決めていいということで
「月刊おがつ」に。

先週いきなりの話でしたが、バタバタと取材をし、役場の方
(この方がとてもアイデア豊富!)と共同でサクサクと紙面を
つくり、今日、発行です!






デザインよりも、平凡に読みやすく。 そして、前向きな紙面を心がけてます。
町の外に避難されている方にも早く届きますように。

2011年8月3日水曜日

8月になりました

毎週、診療所の方はたくさんの患者さんがいらっしゃいます。
一番多いのは高血圧の患者さんですが、
次は腰痛、膝の痛みです。
ブロック注射が大人気で、順番待ちができるほど。

待ち時間が長いのは、ここでは全然気になりません。待合室は、町の皆さんの憩いの場にもなっているようです。

まごのて診療所の待合室には全国から届いた 支援物資などが置かれています。
「ご自由にお持ちください」


最近届いたのは、長崎の小学校から、家庭科の時間を利用して作った
手作りのアームカバーです。
近所のおばちゃん達、これがえらく気に入った様子。
こちらではアームカバー=「うでっこ」と呼びます。
中には一つ一つに製作者の小学生のお手紙も入っています。



そのほか、横浜の小学校からも手書きイラスト・文字が入った「うちわ」がたくさん寄せられました。
全国からの温かいお気持ち、嬉しいですね。

2日の間に、なんと4回も来院されたおばあちゃんもいました。
どこといって具合が悪いわけではありません。お話しに足を運んでくれるのです。
元気のもとは薬だけではありません。

人と人とのふれあいが一番のお薬です。

2011年7月19日火曜日

7月18日

連休の7月17日と18日も、雄勝まごのて診療所で診療をしてきました。
仙台では東北六魂祭が16・17日に開催され、仙台駅は震災以来の大賑わいでした。

雄勝まごのて診療所にも、連休中、全国からボランティアの方や、ドクターも訪問してくださいました。ご支援本当にありがとうございます!

雄勝出身で東京でお仕事をされている70代の男性、ふるさとの様子を見にいらした途中で、お立ち寄りくださいました。生まれ育った町の変り果てた姿に言葉もなかったそうです。元のご自宅は、津波で流され、場所を探すのも苦労されたとか。

暑い中、診療所を奥様とご訪問くださって、「雄勝のために、ありがとうございます。」とおっしゃってくださいました。

患者さんたちは、近所の水浜地区の方が多いのですが、避難所で3月以来診察していた方々も車に乗り合わせて受診されています。雄勝は集落が点在し、電車もバスもありませんから、車を出すしかありません。その車もほとんどが流されてしまっていますから、とても不便です。それでも何とか工面して、来て下さっています。

診療所にはエアコンも扇風機もありませんが、浜風が入るので、風向きによっては、慣れるとそれほど暑くはありません。


7月2日に行われた 第2回雄勝復興市では、水浜地区の方々にお手伝いいただいて、かき氷屋さんを出店したのですが、これが好評だったので、診療所の入口に、その時のかき氷の暖簾を吊り下げてみました。

すると

近所のお子さんたちが かき氷やってる?? と続々訪れました。

イチゴシロップ・ブルーハワイ・練乳かけが大人気。近所のおばあちゃんたちもいらっしゃって、
診療所はかき氷屋さん兼業になってしまいました。

雄勝にはまだ自動販売機もないので、屋外の作業による熱中症がとても心配ですが、
作業後のおにいちゃんたちも、一服の涼を求めて立ち寄ってくれました。
「(冷たくて)頭いてえぇ~~」 といいながら、涼んでいきました。

まだまだ復興への道のりは長いですが、町の方たち、みんな頑張っています。
応援よろしくお願いします!

2011年7月5日火曜日

まごのて診療所 海外でご紹介いただきました

NHKの国際ニュースです

http://www.youtube.com/watch?v=-wmmA2ZJrDs

7月2日

★おがつ復興市★

震災から3か月が経とうとしています。
いま、町に何件のお店があると思いますか?

雄勝には、いまだに1件も店がありません。
魚市場も壊れたまま。メインストリートは跡形もなく
ガレキの山から変わりません。

震災前に商店街があったメインストリート。
魚屋、八百屋、銀行やコンビニ、食堂、旅館、、、
1軒残らず津波に流されました
まごのて救援隊では、自営業者の復興のために
様々な試みをしています。復興のカギは、
町の経営者自らが、やろう!と奮起できるかどうかです。

人口が4分の1以下になったまちで、果たして商売が
成り立つのか? 復興、復興と叫んでみても、
見通しのたたない商売など誰も初められません。


5月28日、そして7月2日に行われた「おがつ復興市」に
まごのて救援隊も、全力でサポートし、2回ともに大盛況と
なりました。

しかし、私たちにとってなにより嬉しかったことは、
会場が盛り上がったこともさることながら、リスクを負ってでも
この町で商売を再開しよう!と、決心される方が増えている
ことです。復興市には多くの雄勝町民が訪れその後押しに
なっています。

今回、私たちも復興市を盛り上げるためにブースを
出店しましたが、本当の目的は、同じテントに出ている、
もともと町で一番人気の食堂をされていた方の
商売魂に火をつけること。

さすが一番人気の食堂です。写真右にずらっと人が並び
自慢の焼きそばは完売となりました

家も店も道具も全て失った、まだ若い食堂の主にとっては
どんな言葉よりも、だまって調理器具を渡すことが最も意味ある
支援でした。 鉄板の前で汗を流す彼の姿は、3月以来
最も輝いて見えました。 ガンバレ! 

2011年6月6日月曜日

6月5日

先週の嵐とうって変って、初夏を思わせる朝日の中、「雄勝まごのて診療所」に向かう車中、朝早く6時過ぎから電話のベルが。

「石井さん、今日は診察何時から?」 顔なじみの消防団長さんからです。「9時からですよ。」「あそう、それじゃあ9時ころ伺います。」

電話を切るとまたすぐに電話が鳴りました。今度は3月来毎週診療に行っていた明神避難所の方からです。

「今から行きます。血糖値測ってもらいたいです。」 まだ7時前です。雄勝の朝は早いのです。
みなさんもともと海で働いていた方々ですから、朝4時ころから働いて、一仕事してから朝食とってそれから会社へ、あるいは病院などの用事に向かう、というような生活をされていたようです。

さっそく診療時間の見直しをしなければ。「雄勝まごのて診療所」来週から朝7時スタートを検討することにしました。

さて、明神の方々3名様が連れ立って診察室へ。血糖値は糖尿病の女性は少し高め。糖尿病の指標、HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー、先週も出てきましたから、ご存じですね!?)
は6.7%。 どうもお茶菓子の食べ過ぎのようです。避難所生活で、糖尿病がよくなる人と、逆にみんなと一緒に差し入れのお茶菓子をついついつまんでしまって、HbA1cの値が悪くなる人もいるようです。

そのあと、例の団長さんとお話ししていると、小学校の男の子がお母さんに連れられて来院。一見元気そうですが・・・ 昨日からおなかが痛くて、ごはんが食べられないとのこと。
特に熱もないし、おなかも触診で軟らかく、病気の所見は見当たりません。どうしたのでしょう?
震災後、他県の避難所や親戚宅を転々とし、昨日から雄勝町水浜に戻ってきたそうです。環境の変化で口数も減り、ここではまわりに同じ年頃の小学生がいなくて、遊ぶ友達もなく、大人にいろいろと尋ねられたりする事も、ストレスになっていたようです。胃腸はストレスに敏感ですから、いやなことがあると胃が痛くなるって人も多いのです。子供でも同じこと。こんな小さな子供でもストレスを感じて具合が悪くなるなんて、不憫です。


お昼休みに、まごのて診療所から歩いてすぐの、水浜にできたばかりの仮設住宅を訪ねてみました。昨日から入居が始まり、みなさん荷物をようやく運び終えてひと段落というところでした。

知り合いの方が入居されたので、訪ねてみると、中には冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、液晶テレビ、エアコンと家電一式がそろっていました。
狭いながらも、ご家族が一緒に過ごせる空間は、どんなにか待たれていたことでしょう。
一方で、避難所を出てしまうことで食事の配給は基本的にありません。周りにはまだスーパーやコンビニはおろか、普通の食料品店も雑貨屋も、とにかくお店は一軒もありません。ATMも郵便局も30分以上車で走らなければありませんし、町の中にガソリンスタンドもありません。

もうすぐ震災から3か月になります。早く穏やかな日常を取り戻してほしいものです。

2011年5月30日月曜日

雄勝まごのて診療所


雄勝まごのて診療所
 
  内科・脳神経外科


・診療時間 日曜日 午前9時~12時 午後1時~5時
        月曜日 午前9時~12時  


〒986-1321 宮城県石巻市雄勝町水浜字水浜62-3
電話 090-3369-3014

地図はこちら

 ★どうぞよろしくお願いします★

5月29日

★雄勝まごのて診療所 初日★

いよいよ、新しい診療所が始まりました。

どんなスタートが切れるかな?と思う間もなく、やはり
予想外の幕開けに。。。

9時開院の準備予定をしようと、早朝から張り切っていたら、
近くの呉壺という地区で急患の連絡! 以前避難所で
診察したことのある方が、昨日から高熱が出て
診療所にもいけないとのこと。

朝7時からの往診が、診療所のはじまりになりました。

患者さんは、50代の男性ですが、38.5度の熱を出して
全身だるくて動けない。それでもお仕事で日曜日しか休みがとれず
明日までに治らないと、とということでSOSでした。

診察すると喉がひどく腫れていたので、抗生物質と解熱鎮痛剤等々を処方。
すると同じ避難所内で、私も私も。。と診察を希望され、
結局4名診察しました。

さて、それから大急ぎで診療所に向かいました。
まだ診療室内は段ボールが散乱して、とても診療を始められる状況ではありません!
9時開院に間に合うか??

もと雄勝病院の看護師さんと、水浜地区の歯科医の先生のところで勤務されていた事務の方が
お手伝いしてくれました。

そしていよいよ、雄勝まごのて診療所 の看板を揚げる時が来ました。

まごのて診療所、開院です。

最初に見えた患者さんは 60代の男性。糖尿病でお薬を飲んでいますが、
血糖値は簡易測定器で測定できても、大事な指標のHbA1c (ヘモグロビンエーワンシー)
震災以来、測定していませんでした。

被災地にはこのように、検査されていない方が多くいらっしゃるので、今回開院にあたり、
HbA1c測定機械を、ご厚意で貸出していただいたのです。

測定してみると、HbA1c=5.6% とてもいい値です。避難所の食事が質素なので、かえって糖尿病にはよかったのかも(笑)。 安心して帰られました。

次は70代の男性。高血圧と膝の痛みで、3月21日以来、避難所でずっと診察していた患者さんです。 血圧の薬が切れていたので少し上昇していました。
またお薬を処方して、いろいろよもやま話をして帰っていきました。
あとは血圧測定にいらした方。2か月経過して安定していました。よかった。

こんな具合で午前中受診者 3名。台風の中、わざわざ足を運んでくださって、ありがたいことです。

お昼には、診療所の建物を無償でこころよく提供してくださった方から、おにぎりや煮物、フレンチトーストなどどっさりの差し入れがありました。
本当にありがたいことです(涙)

町の方から立派なお花を頂きました
午後から、雄勝にある特別養護老人ホーム所長が、訪ねてきて下さいました。老人ホーム
が被災され、設備を整え再建できるのは早くとも来年4月になるとのことでしたが、
その老人ホームの診療室の備品、机・椅子・診察用ベッドなどを、まごのて診療所に
「どうぞ使ってください」 と、これまた無償でお貸出しいただいたのです。
本当に町のみなさんで支えられています。ただただ感謝の言葉もありません。

さて、さらに塩釜で開業されている内科の先生が、新聞記事を見て、奥様と駆けつけてくださいました。雄勝の隣町、河北町・芦早出身で、生まれ故郷のために何かお手伝いできれば、と医療援助を申し出てくださったのです。手土産に白松がもなか持参で・・・いやもう。本当にありがたくて。
いろいろと医療の現状などお話しし、話は尽きませんでした。

そんなこんなで、雄勝まごのて診療所、無事第1日目を終了しました。

お手伝いいただいた看護師さんと事務員さんのおかげで、
薬棚もきれいに片付き、診療所らしくなってきました。

みなさん、本当にありがとうございました!!!

2011年5月29日日曜日

雄勝まごのて診療所 はじめます

★雄勝まごのて診療所 はじめます★


長きにわたり更新できず申し訳ありませんでした。


みなさまの多大なるご支援を、一瞬たりとも忘れることは
ございません。 雄勝町は一歩一歩、確実に復興の道を
歩んでおります。


本日より、雄勝町にて

「雄勝まごのて診療所」 開設する運びになりました。



雄勝まごのて診療所は、ご支援いただいております
みなさまの善意で運営されております。


感謝のことばもみつかりません。
ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。


週二日の小さな診療所ですが、かゆいところに手が届く
医療ができるよう、頑張っていきます。
まだまだ設備も十分ではありませんが、焦らず少しずつ
ととのえていきたいと思っています。
(また落ち着いたら開設までの経緯をお知らせします。)

まごのて救援隊の活動も、引き続き様々な形で
続いております。

今後とも何卒宜しくお願いいたします。


平成23年5月29日

まごのて救援隊
代表 石井 肇 ・ 山王 直子

******
雄勝まごのて診療所

・診療科名:内科・脳神経外科
      (頭痛外来、ものわすれ、生活習慣病)

・診察時間:日曜日 9:00 - 12:00,  13:00-17:00
        月曜日 9:00 - 12:00

・院長  :医学博士 石井 直子 

〒986-1321
 宮城県石巻市雄勝町水浜字水浜62-3
 電話:090-3369-3014(診療所専用TEL)
*******

2011年5月4日水曜日

★感謝!★雄勝すずり保存プロジェクト 大成功です! (随時更新します)

雄勝すずり保存プロジェクト 初日、

晴天に恵まれ、22人にボランティアの方々と共に
驚くほど多くのすずり石が、がれきの中から救われました。

多くの新聞やラジオ、テレビでも紹介頂きました。
本当にありがとうございました。
以下、紹介させていただきます。(随時更新します)

★河北新報さん 5月4日朝刊(社会面)、およびインターネットニュース

「雄勝硯、復活願い回収 石巻・組合員とボランティアが企画」
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110504t13006.htm

★NHKラジオさん

当プロジェクトを紹介して頂きました。
そのラジオ放送でこのプロジェクトを知り、4日の作業に参加された方から
聞きました。ありがとうございました!

★読売新聞さん 5/5朝刊(仙台圏・24面)

「『雄勝硯』復活に向けがれきから5000個回収」

2011年4月30日土曜日

★速報★ 5月3日4日ボランティア募集 (5月2日新情報up!)

★速報★ まごのて救援隊 臨時ボランティア募集!!!

 ※ 通常の記事は、速報の下で更新中です ※

ゴールデンウィーク真っただ中、5月3,4日に
まごのて救援隊でボランティアを募集します。

『雄勝すずり復活計画』 第一弾

 ”ガレキ撤去される前に、貴重なすずり石を保存しよう”プロジェクト
 

・主催:雄勝すずり生産販売協同組合、まごのて救援隊
・日時:2011年5月3日、4日 各12時ー17時 集合:朝11時(一日だけでも可)

・集合:宮城県石巻市雄勝町雄勝字伊勢畑84番地1
      石巻市雄勝総合支所 駐車場「まごのて救援隊」ワゴン車前

・連絡先:まごのて救援隊 代表 石井 090-8724-3014 まで

・必要なもの:長靴(安全靴になっているものがベスト)、手袋、帽子、雨具、マスク

・他のボランティアと同様「自己完結」でお願いします。
 往復の交通手段、食事、宿泊などは各自ご用意お願いします。
 
現地でボランティア保険に加入できるようになりました

飛び入りでも可能になりました。ご不明な点ございましたらお気軽に連絡ください。



まごのて救援隊で、先日より就労支援チームを立ち上げています。
詳細はまだブログにもアップしておりませんが、あらゆる形で雄勝町に、
仕事を立ち上げようと計画中です。

外から押し付けるよう仕事でなく、震災以前からあった
街の産業を復活しさらに魅力を引き出そうというのが
基本です。


雄勝町には、漁業をはじめ活気のある産業がいろいろと
あるのですが、そのうちのひとつ「雄勝すずり」は
600年以上の歴史を誇る、我が国が誇る伝統工芸です。

すずり、といっても書道に使うすずりだけでなく、
石としてとても貴重かつ芸術性の高さが認められ
高級建築材、具体的には屋根や敷石などで
古くから重用されているのです。

奥州一ノ宮、塩釜神社(塩釜市)の参道には、
雄勝のスズリ石がびっしりと敷かれています

雄勝の皆様の例にもれず(笑)、ホームページや
パンフレットなどでは地味な紹介しかされていませんが、
実際には、札幌市庁舎、塩釜神社など
多くの場所で、その風格を見ることができます。

現在復元中の東京駅駅舎にて、屋根材として
使われることになっています。(毎日jpより転載)

現在復元中の東京駅でも、屋根材として重要な部分を任されて
いるのです。(記事はこちら


その雄勝すずりですが、今回の津波で、壊滅的な被害を受けました。
工場、作業所、ギャラリー、産業会館などあらゆる施設が流され、
また、町内にある雄勝石を使った貴重な建物の多くも津波の
被害を受けてしまいました。

しかし、まだ職人の多くは残り、流出した石の中でも使えるものが
多くあります。 
現地では、自衛隊さんによる必死のガレキ撤去作業が続きますが、
このとき、貴重なスズリ石まで撤去されているのです。

まごのて救援隊は、雄勝硯組合の会長さんとお話をし、
組合の方々とともに、町内に散乱するスズリ石を集めよう!
ということになりました。

詳しくは電話、現地にて。